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親が誉めていれば自己肯定感は高まるの?

今の子育ての風潮として「誉めましょう」というものがあります。

この流れが少し心配です。

「誉める」というのは、「条件付承認」と言われるもので

○○という条件つきで、自分はプラスの評価をされているのだ、ということです。

誉められた子どもが感じるのは「○○できる自分はすごい」というものです。

裏を返せば

「○○できなければ、自分はすごくない」

「○○できない、あの子もすごくない」

といった認識を、子どもが抱いても不思議はないということです。

なんてひねくれた。。。と感じる方もいらっしゃると思うのですが、親との関係が原因で心を病んでしまう人は

「○○できなければ、自分はすごくない」

という認識に囚われていることがとても多いそうです。

※「○○できない、あの子もすごくない」も問題ですが、話が違う方向で長くなるので、今回は省きます。

だから○○で躓いた時に自分自身に価値がないと勘違いしてしまったり、うまくいっている時でさえ、いつか上手くいかなくなるかも?と不安で落ち着かない気分になったりするわけです。

もちろん、親が「条件つきで子どもを認めている」とは限らないのですが、子どもがそう思い込んでしまう危険性があるということです。

誉めちゃダメと言いたいわけではありません。

自分の心が動けば誉めればいいけれど、そこに義務感や目的は不要だと思うのです。

親が子どもの自己肯定感を育みたいなら、ほめる前段階としての「まるごとの受容」のほうがよっぽど重要です。

欠点がいっぱいあっても、失敗をいっぱいしても、「ただそこにいるだけで価値がある自分」という認識があって初めて、自己肯定感のベースができるのです。

つき合い始めたばかりの恋人が

「君のこんなところがすごい、素敵だ」と、誉めてくれたとしましょう。

それはそれでもちろん嬉しいし自信もつくものですが、「この人となら一生やっていける」と思うような瞬間は、自分の悪いところや失敗にも関わらず「そんなことはたいしたことじゃない」とか「そういう点があっても君が大切なことに変わりはない」と受け入れてもらえた時ではないでしょうか?

人間って、強いけれど弱くて、弱いけれど強くて、そういうダメな自分を受け入れてくれる人がいることで、どん底だと思えるような状況からでもまた笑って生きていけるようになるものです。

では、まるごとの受容ってどうしたら伝わるのでしょう?

これも恋人とのデートをイメージしてみると分かりやすいのではないでしょうか。

黄色い花 話をきちんと聞いてくれる

黄色い花 共感してくれる

黄色い花 一緒に楽しく過ごす時間がある

黄色い花 適度なスキンシップ

黄色い花 失敗してしまった時に、ありゃ~やっちゃったね~と笑いあえる

こういうことも、すべてがいつもできてないと、といった固いイメージではなく

特別なことをしなくても、一緒にいるのが嬉しい、

失敗も欠点も、しょうがないねぇ、と多少困りながらも、受け入れてもらえる、

なんとなく大枠でみればそう感じられる、くらいでよいと思うのです。

そういう場所がひとつでもあれば、○○でなければ価値がない、なんて淋しい発想にはならないし、そういうベースがあって初めて、誉められることが自己肯定感をあげるのだと思います。

似ているようで実は違う提案に

「子どもの欠点ばかりに注目せず、良いところに目を向けましょう」

というものがあります。

これは全く同感です。

でも、目を向けた結果、いいとこあるな~って感じたことを全て「誉める」という形で伝える必要はないと思うのです。

いいとこあるな~と感じる気持ちが、ゆっくり子どもの話や意見を聞く、信じて見守る、といった親の態度に結びつけば、それで充分です。

一方で、先生や近所のおじさん、おばさんといった、子どもから見た「社会」に該当する人が、誉めるのはプラスに働く場合が多いと思っています。

親からの無条件の受容というのは大切ですが、成長するにしたがって、それだけでは自信が持てなくなり、社会で認められたい、社会的に価値のある存在だと思いたい、という承認欲求がでてくるのも自然なことです。

そして、社会というのは厳しいものなので、ある意味

○○だから、君を認める

というのが前提で動いているようなところがあります。

そういう社会において「誉められる」というのは、この厳しい社会でやっていける自信であったり方向性のようなものなので、それはそれでとても大切なことだと思うのです。