どんぐり倶楽部では、公文的な高速大量プリント学習は完全否定しています。
一方で、
算数オリンピックで上位に入る子は公文経験者が多い、
東大・京大合格者の多くが幼少期に公文で学習していた
といった、全く別の方向の話もよく言われます。
さて、これはいったいどういうわけなのでしょう?
どちらかが嘘をついているのでしょうか?
そうではなくて
公文経験者の一定割合が算数オリンピックや大学入試で良い成績をおさめ
また別の一定割合が、公文式学習をすることで、考える能力をどんどん衰えさせていく
というのが、実態だと思います。
公文のポイントは「自学自習」で、それは本来よいものなんですよね。
教えてもらえない状況で、自分の体験等を駆使して、プリントでやっている計算の意味を考え続ければ、最初は意味がわからなくても自ら理由やしくみを発見し「よくわかる」状態になれるのでしょう。
ただ、そうなるにはかなりハードルが高いと思うのです。
単調な繰り返し計算自体が楽しくない。
楽しくないから、とにかく考えずに早く作業を終わらせようとする。
結果、計算から仕組みを学ぶにいたらず、公式に当てはまらないものは、考えられないし解けない子がとても多い。
一方で、もともと算数・数学的なものが大好きだったりして、ほっておいても自ら考えずにいられないような子たちが、計算の意味を自らつきとめ、解けるしわかるようになる。
そういう仕組みのものにみえます。
大抵の子にとっては危険。
公文でできるようになる子は、公文でなくてもできるようになる。
問題を解いている段階では、どの子が危ない状況にいるのか見えない。
合わなかったからと学習方法を切り替えても、考えない習慣がみっちりついていて思考力養成が難しい。
…なんというか危険だし必要性も感じないので、子どもにはさせたくない、というのが本音です。
ただ、「公文やってる子は考えられなくてかわいそう」という意見も、一方的な決めつけだし、必ずしも正しくないとは思います。
どんぐり倶楽部の指導者が公文蔑視的な発言をしているのを、どんぐり問題をやっている子が聞いて偏見を持つようなことは避けたいですね。